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押切刑場跡および青洲堤(おしきりけいじょうあとおよびせいしゅうづつみ)

押切刑場跡および青洲堤(おしきりけいじょうあとおよびせいしゅうづつみ)について

押切刑場跡および青洲堤 「押切刑場跡および青洲堤」は昭和42年11月に指定された旧 市川大門町第1号の文化財です。
初代市川大門村村長でもあった渡邊青洲(せいしゅう)<青洲は号、名は信>は明治40年の大水害に対して堤防工事に奔走し、堤を完成させました。
その完成を見ることなく青洲は亡くなりますが、人々はその偉業を讃えた桜を植え、「青洲堤植櫻之記」の石碑を作り「青洲堤」の名を後世に伝えようとしました。

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