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一条氏塁跡
解説
一、一条信龍のこと、一条信龍は武田信虎の八男、信玄とは異母兄弟で「甲陽軍鑑」に、甲斐源氏の一門の名族一条氏の名跡を継ぎ、旧一条の庄(甲府市東南部)を支配、信玄の代騎馬百騎を預る侍大将として活躍、永禄10年(1567)以降甲軍の副将格で信玄を補佐、天正10年(1582)年3月武田滅亡の直前、上野城にたてこもり、駿河路から侵入する徳川家康と戦ったが、子の信就とともに戦死したものと伝えられている。
峡南を支配していた穴山信君が、家康の軍門に降っただけに、甲州の防波堤となって守ろうとしたわけだが、「軍鑑」は信龍について「伊達者にして花麗を好む性格なり」と記し、信龍が文武両道に秀でていたことをうかがわせる。
二、一条氏塁跡、三珠町上野にあり、信玄の弟一条右衛門大夫信龍の城地であった。別に上野城とも呼ぶ。
外壁は二級三級の自然の地形をなし、南方は山に寄って民家が点在、北は絶岸、西はゆるやかな丘陵に続く、本丸の頂上に牛頭天王を祭る。馬場、門前、物見塚等の地名も残り、お年寄りは「一条林」と愛称している。
古府中塔岩に一条氏の館があった。 (旧三珠町誌より)
- 【場所】
- 市川三郷町上野地内(歌舞伎文化公園 ふるさと会館隣り)
- 【交通】
- JR身延線甲斐上野駅より徒歩10分
中央自動車道 甲府南ICより20分
中部横断自動車道 増穂ICより10分

上野城跡石